北海道にある唯一の日本式城郭「松前城」

松前城の概要

松前城は、北海道松前町にある城です。
江戸時代の終わりごろ、海外諸国が日本に接近するようになり、それを受けて幕府の命により海防のために築城されたという経緯があります。
ただし、そのときになって初めてゼロから城が築かれたのではありません。
実は、それ以前から「福山館」という建物がこの地にありました。
これは1600~1606年の江戸時代初期に、松前藩の松前慶広に建設された建造物です。

これは本丸や二の丸、石垣や堀、櫓などを備えたまさに城という趣の居館だったのですが、正式に城とは認められませんでした。
というのも、江戸幕府から城を持ってよいという認可を松前氏は正式に受けていなかったからです。
しかし、城とは認められていなかったとはいえ、その構造からも明らかなように近代的な城としての礎はすでに備えていた建物だったのです。
そこで江戸時代の終わりに、この居館をベースとして市川一学という兵学者の指揮によって築城されたのでした。

松前城が完成したのは安政元年、1855年です。
城は平山城に分類されます。
平山城とは、山城や平地城と違ってならだかで平地に近い地形に建造された城のことです。
その地形的特徴ゆえに、対外的には高い防御力を備えながら、なだらかで居住性に優れ、かつ物資を運搬するのも容易だという特徴があります。

平山城は、その規模や形状はさまざまなですが、日本中にたくさん存在します。
本丸、二の丸、三の丸などが土塁や石垣、堀によって囲まれ、城内には門や櫓、住居が配置されるのが大きな特徴です。
松前城もそんな平山城の一つとして築造されました。
ちなみに、これが唯一の北海道にある和風の城郭です。

松前城の歴史

そんな背景で築城された松前城ですが、戊辰戦争では簡単に攻め落とされてしまいました。
このときの旧幕府軍は土方歳三が率いていたことで有名ですが、彼によって松前城の構造は海からは強いものの陸からの攻撃に弱いことが見抜かれ、実際そのとおりに短期間で落城してしまうのです。

その後、明治時代になると廃藩置県によって松前藩は松前県になります。
その過程でかつての城はもはや不要として、その多くが解体されてしまいました。
これを廃城令と言い、松前城も1874年にその令を受けて廃城になってしまったのです。

その後しばらく放置状態だった松前城跡ですが、残った建物は学校や住居などに利用されていました。
文化財や歴史的建造物に対する保存意識の高まりを受け、松前城も大部分は解体されていたものの、残った一部は保存されることに決まったのです。

昭和に入り松前城は国宝に指定されますが、火災により全焼してしまいます。
1961年に復元され、その際、天守閣は資料館になりました。
また、城の周辺はきちんと整備され松前公園へと生まれ変わります。
現在、この公園は桜の名所として人気の観光スポットです。