北見ハッカの歴史

「北見ハッカ」とは?

ハッカとはミントのことで、その清涼感のある爽やかな香りが世界中で人気となっていまう。
食品や飲料品だけでなく、医薬品や化粧品など幅広い用途に使われているのをご存知でしょうか?

北海道北見市では明治時代からハッカ栽培が行われていて、以前は「北見ハッカ」として世界市場で取引され、その名をとどろかせていました。
現在では安価な輸入ハッカにその地位は奪われてしまっていますが、高品質の北見ハッカは今もなお多くの人に愛されています。

北見ハッカの歴史とは?

北見ハッカは、時代の変化とともに発展と衰退を繰り返してきました。
栽培され始めたのは明治29年のことで、他の農作物よりも高値で取引されるため、北見地方を中心として徐々に栽培量が増えていきました。
ところが、大正時代に入って北見ハッカの生産者と買付け業者であるサミュエル協会との間で代金や協定の不履行を巡って訴訟問題にまで発展した「サミュエル事件」と呼ばれる出来事が起こります。
生産者と買い付け業者との溝が深まる中で第一次世界大戦が始まり、北見ハッカの生産量は大きく減ることになりました。

その後、昭和初期に入って再びハッカが高値で取引されるようになります。
北見市ではハッカの精製工場が建設されて、以前のようにハッカ栽培に力を入れるようになりました。
しかし、また戦争に影響されることとなります。
太平洋戦争によって食料の栽培が優先されて、ハッカ栽培は中断せざるを得なくなったのです。
しかし、終戦後には北海道庁からハッカ栽培が奨励されたことも手伝って、再び復活を遂げます。

北見ハッカは品種改良によってさらに栽培量を増やしますが、時を同じくして中国や台湾でもハッカ栽培が広がって輸入ハッカの勢いが増していきます。
それだけでなく、天然のハッカよりも安価な合成ハッカが主流になる時代がやってきました。
さらに追い打ちをかけるようにハッカの輸入自由化や関税の引き下げによって、ついに北見ハッカ工場は閉鎖に追いやられてしまいます。

近年の北見ハッカは以前のような世界を相手にする勢いはありませんが、その質の高さを武器に瓶に入ったペパーミントオイルを国内の百貨店で販売して、徐々に認められるようになってきました。
また、観光地として以前稼働していた工場を「ハッカ記念館」としてリニューアルし、北見ハッカの歴史を今に伝えています。

北見ミントの商品が人気

北見ミントを使った商品は、瓶詰めのオイルだけではありません。
保湿効果が高いのにさっぱりとした使い心地の「ミントクリーム」は、根強い人気があります。
とくに夏場のお風呂上がりに使用すると火照った体を程よくクールダウンしてくれます。
他にも「ハッカ飴」や「ミントタブレット」は眠気を吹き飛ばしたい時や集中したい時にぴったりの爽やかな美味しさです。